2009年06月24日

デジタルメディア・民生機器

子会社の日立マクセル(maxellブランド)はカセットテープ、MD、DVD-Rなどの磁気ディスクや光ディスク記録媒体も手がけ、自社ブランドのみならずOEM販売も行っていたが、現在では光ディスクの自社生産からの撤退と生産委託をし「Maxell」ブランドで販売のみ行っている。

携帯電話はDDIセルラーグループにHP401、IDOにD317を供給して以来、現在でもKDDI/沖縄セルラー電話のauブランドのみに供給しており、開発・設計についてはカシオ計算機と合弁会社カシオ日立モバイルコミュニケーションズを設立し、事業を移管した。統合後のソフトウェアの設計はカシオ製品を継承しているが、製造・販売は日立ブランドで行われている。なお、グループ会社の国際電気(現・日立国際電気)はNTTドコモ向けに供給したことがある。

Woooブランドで知られる音響機器・映像機器、はコンシューマ事業グループ、エアコン、冷蔵庫、洗濯機などの家電製品(白物家電)は日立アプライアンスにて生産されている。このうち、プラズマディスプレイ事業については、富士通と共同出資した富士通日立プラズマディスプレイに移管しソニーや三洋電機へもパネルを供給していた。同社は2008月4月1日付で「日立プラズマディスプレイ」に商号変更してプラズマディスプレイパネルを生産していたが、2009年度からはプラズマパネルの生産から撤退し、回路の生産とテレビセットの組み立てのみを行う。

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エアコンの型番は「RAS」で始まるが、これは東芝と同じである(鉄道車両用のクーラーも同じで、日立・東芝ともに型番は「RPU」で始まる)。

売上高に占める比率は12%、3万1,334名の従業員を抱える。価格低下の一方で、原材料調達費が高騰し、赤字状態にある[11]。


高機能材料部門の中核である日立化成工業、日立金属、日立電線の3子社は御三家とよばれ筆頭家老は日立金属とされている。この3社は 日立製作所の事業部門が独立した形で設立されており、子会社ではあるが独立性が高い。現在、好調な業績を記録しており、2006年3月期決算ではこの部門は26%の増収となった。

日立化成工業では、ディスプレイ用回路接続フィルム、半導体ウエハー研磨剤、自動車関連製品を生産している。日立金属では液晶ディスプレイ用品、携帯電話向けアイソレータ、特殊鋼系鉄鋼材料新素材、日立電線でも半導体パッケージ材料が業績に寄与しており、他の部門で最終消費財が不調であるのと対照的になっている。

売上高に占める比率は15%、5万4,687名の従業員を抱える。

2009年06月09日

警察予備隊の警察官の階級は

警察予備隊の警察官の階級は、警察予備隊令施行令(昭和25年政令第271号。1950年8月24日公布・即日施行、8月14日遡及適用。こちらは警察予備隊令と異なりポツダム政令でなく普通の政令)により規定された。
当初は、のちに3等警察正となる階級は「警察士長」であり、また、3等警察士の階級は置かれていなかったが、1952年3月11日の一部改正により改称・新設された。
警察監には、さらに甲(長官の指定する職にある警察官)と乙(甲以外の警察官)の級の区分がある。
「相当階級」に記載の後継組織における階級は例示であり、必ずしも警察予備隊の警察官の階級と完全に一致するものではない(陸上自衛隊の准陸尉、陸曹長、3等陸士に相当する警察予備隊の警察官又は保安官の階級はない。)。
ボディビルディング
芸術
原子力工学
グラフィックデザイン
楽譜
インダストリアルデザイン
太陽系
マラソン
風水
北海道
肥満
インディアカ
核医学
ゴルフ
性行為感染症
ポリマー
デング熱
電子工学
色素性乾皮症
農業工学


アフガニスタンやイラク等で旧政権がアメリカ軍の進攻で殲滅された後現地での治安維持のため親米の新政権により編成された軽武装の地上部隊を警察予備隊と表現することがあり、主にブログ等で使用例が見られる。

「警察予備隊は民事不介入」とは航空自衛隊で特に空曹空士の間で使われる諺である。職務上絶対に逆らい得ない立場の上官にホモセクシャル、霊感商法やマルチ商法の勧誘者、癇癪持ち、恐喝、たかり、公金横領、他職権乱用の常習犯等がいても「諦めろ」という自嘲的な意味が込められているとされている。陸上自衛隊と違い航空自衛隊は警察予備隊の系統を直接受け継いでいないが航空自衛隊の制服が警察官と酷似している事、また航空独特の「ショップ」の思想が強く本来の法律や規則、道徳を越えた治外法権の絶対権力者としての現場指揮官が誕生し易い事がこういった諺を生んだとも言える。ただし、空自は警察や陸自ほど縦社会でなく極めて横暴な上位者にはその上下関係によらず「キレて」一暴れしても良く、それで即刻不利益な処分を受けるリスクは(相手側にも負い目があれば)極めて少ないのでそうやってちゃんとバランスは取れているのだ。といった肯定的な意味で用いられることもある。

2009年06月06日

北辰一刀流での稽古は竹刀・防具を用いての

北辰一刀流での稽古は竹刀・防具を用いての技術中心の修行を行う。特に「切り返し、掛かり稽古」の訓練をやらせた。木太刀を用いて形の訓練を行う「組太刀」も軽視していたわけではなく、ある程度、竹刀での訓練に慣れてくると組太刀の伝授も行った。また竹刀稽古で使う『剣術六拾八手』を編み出しまとめた。この中には現在の剣道で使われる技はほぼ出揃っているおり、現在の剣道では使われない技も多数含まれている。この様に、彼の剣術指導は、現代剣道に多大な影響を与えた。それは、優れた合理性に依って裏付けられた剣術である。

他の一刀流系の流派と同じく基本の構えは星眼(正眼)。中西派一刀流の段位は八段階であったが、これを「初目録」、「中目録免許」、「大目録皆伝」の三段階にした。剣術に限らず当時の武術・諸芸道では、段位が上がる度に師匠・先輩・同輩に礼物を贈る慣習があったため、貧乏な人間は実力があっても昇段しにくい弊害があった。このため、この簡略な目録制度は門弟に大いに喜ばれた。

この合理性が北辰一刀流の特色であり、これまでの剣術がしばしば仏理を併せて学ばせ、神秘性を強調して来たのに対して、玄武館は高名な儒者東条一堂の塾「瑶地塾」の隣にあったので、周作は門弟に瑶地塾で朱子学を学んで合理精神を養うことを奨励している。そのため、北辰一刀流には漢詩に巧みな者が多い。また、玄武館は天神真楊流柔術開祖の磯正足の道場の斜め向かいにあったので、天神真楊流柔術を併習する者も多かった。
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千葉周作遺稿によると、他の小野派一刀流系の流派と同じく、「一ツ勝」より始まる太刀の組太刀43本(小野、中西派とは本数の数え方が違う)をはじめ、小太刀など、中西家で行われていた一刀流(中西派一刀流)の組太刀とほぼ同じものを伝えている。(ただし、北辰一刀流独自の点もいくつかある)

また、薙刀の形も初代・千葉周作が体系化し伝えている。

現在でも北辰一刀流の道場がいくつか現存している。日本古武道協会に加盟している茨城県水戸の東武館をはじめ、日本伝統技術保存会では水戸伝の形(長剣の形)の一部が継承されている。

2009年04月23日

屋台(やたい)

正月の寺社や縁日など大きな行事の場所にはたこ焼き、焼きそば、綿菓子、磯辺焼、おもちゃなど様々な屋台が出店する。屋台店とも呼ばれる。このような祭りの縁日等大きなイベントに出店する屋台は的屋と呼ばれる人たちによって営まれている場合が多い。

屋台は江戸時代に大きく繁栄し、江戸(後の東京)では、握り寿司や蕎麦切り、天ぷらといったすぐに提供できる食べ物(ファーストフード)が屋台で初めて提供され、現在の日本の食文化の起源の1つとなる営業形態であった。

移動式の屋台ではラーメン屋が多く商われている。これは江戸時代の夜鳴きそばに起源を発し、チャルメラをならしながら夜の街を流すため、別名チャルメラと呼ばれることもある。

夜間にのみ営業し、酒類とともにおでん、焼き鳥やどて焼きなど様々な料理を出して営業する屋台もある。屋台特有の雰囲気に誘われるファンは今も多い。営業には食品衛生法に基づく保健所の営業許可や道路交通法に基づく警察署の道路使用許可が必要。これら許可を取らないまま営業をしたり、水道、排水、電気、トイレの確保やゴミ処理が難しく、深夜の騒音問題、衛生面での問題や道路を占拠し交通を妨害するなどの問題もあり、最近ではこの種の屋台は減ってきている。常設的に屋台を開設するには向いていない日本の気象条件の制約等がある。料金のトラブルや、ヤクザ等による場所代徴収の問題もある。

広い敷地に水道を引き多くの屋台を集めた「屋台村」と呼ばれる常設の施設が各地で見られたこともあったが、昨今はあまり見られなくなった。そんな中でも北海道各所や、青森県八戸の屋台村は観光名所にもなり、盛況である。

近年の東京丸の内近郊をはじめとする各都市部では、ネオ屋台と呼ばれる移動販売車のランチタイム販売が好評を博している。商品は弁当中心でエスニック系のものが多く、清潔感と洒落た雰囲気で、女性客も気軽に買える内容となっている。 出店ポイントをネオ屋台村と称して、主にオフィス街の昼食需要に応えている。

こうした移動販売車は一般的な飲食店と比較すると低投資で取得可能で、客層の厚い場所に攻撃的に出店できるフットワークがあるため、個人の起業スタイルとして定着しつつある。また起業需要に応える形で、移動販売のフランチャイズチェーンも現れ、業態としてはクレープやメロンパン、揚げパン、いか焼きなどのチェーンが存在している。

更なる発展形として、移動販売車の欠点[衛生面での業態の制限][道路交通法の問題][電気や給排水設備の不足][車内作業効率の悪さ]を解決した半固定型のユニット厨房や牽引式厨房車両も姿を現し始めた。

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福岡の屋台
福岡市の博多区中洲・中央区天神・長浜地区など、「屋台街」と呼ばれる歩道上に屋台が集合して商売する場所もある。福岡の屋台は移動販売ではなく、場所を固定して営業する。昼は月極駐車場においてあり、夕方に「引き屋」と呼ばれる人が引いて決まった場所へ移動し、固定する。電気は屋台を営業する場所に専用の電源を持ち、水道は近くのビルと契約している。ガスは自前のプロパンガスを屋台内に取り付けてある。ラジオやテレビを流す店は多い。連絡用に携帯電話を持っている店主が多い。天気が悪い日などは休業するため、ガイドブックに電話番号を公開してある場合はこの携帯電話に営業するか否かを問い合わせることができる。

メニューは豊富で、ラーメンのほかおでん、もつ鍋、焼き鳥、鉄板焼き、天ぷらといったメニューを掲げる店が多い。これらのメニューをつまみに酒を飲み、最後にラーメンを食べるパターンになることが多い。店によってはカクテル専門・西洋料理専門・沖縄料理専門の店などもある。また、最近は店主の好みによって独自メニューの開発を行なって新たな形態を打ち出す例もあり、一方で従来のメニューを伝統的に守る主義の店も多い。ラーメンなど福岡での定番商品は多くの店にはあるが、おかない主義の店もある。衛生上、生の食品は置いてはならないことになっているが、ルール違反の屋台もある。また、金額の表示は義務化されており、金額のトラブルは減っている。

北九州市小倉北区の屋台は、アルコール類を一切置かない(ただし持ち込みは可)。おにぎりとお茶を片手におでんを食べるといった感じである。また、おでんの屋台にはおはぎがおいてあり、締めとしておはぎを食べる人も多い。規模は小さい。

2009年04月19日

第三次マケドニア戦争

第三次マケドニア戦争(イタリア語:Terza guerra macedonica)とは、共和政ローマとマケドニア王国(アンティゴノス朝)の間で争われたマケドニア戦争の3度目にあたる戦争であり、紀元前171年から紀元前168年まで行われた。最終決戦となったピュドナの戦いでローマ軍はマケドニア軍に大勝して、アンティゴノス朝は断絶した。また、共和政ローマによるヘレニズム諸国征服の端緒となった。

共和政ローマは2度のイリュリアとの戦争に勝利を収めるなど、アドリア海やギリシアへ影響力を増しつつあった。紀元前229年にマケドニア国王に即位したピリッポス5世は徐々に自らの勢力圏へ浸透しつつあるローマに危惧を抱いていた。カルタゴとローマとの間で第二次ポエニ戦争が勃発した機を捉えて、ピリッポスはカルタゴと同盟を結び、アドリア海およびギリシアに対するローマの影響力排除を図った。ハンニバルがザマの戦いでローマに敗北し、カルタゴが降伏した後もローマと戦ったが、キュノスケファライの戦いで完敗を喫して和睦を結んだ。以後、ローマの同盟国となり、シリア戦争でローマへ支援を行うなど、親ローマへ舵を切った。

紀元前179年にピリッポスが死去、後継のマケドニア国王としてペルセウスが即位した。ペルセウスはピリッポス時代までのローマを刺激しない親ローマ路線を修正し、まずはトラキア人への備えと称して軍事力の増強を図ったが、この動きはギリシアや周辺国家に脅威を与えた。東方への勢力拡大を図っていたローマはマケドニアの勢力が復活し、ギリシアへ影響力が浸透するのを阻止するため、ペルガモン王国からの支援要請を受けて、紀元前171年にマケドニアに対して宣戦布告し、バルカン半島への侵攻を開始した。
ミング カメリア ハード ナーナ バスロフ バイザー シースルー ピンポン アール キンメイ おもいで モスク バゲージ きらめき ワシン ステージ ドンキ バージョ トンガ スノイズ 春が来た ガスマ オープン チルド シクラメ オーバ ケール バタリアン オカル イシュー トップ スタイ スロバキア ミドルエ ミニマム マキドイ フェイ 王様の楽園 ミラー フーズフー 時の風 リーバイ ゴユリ レイキャ ブラン フリップ ショット ホイール ガーデ アルフ


前171年から前169年までの経過
周辺国家はビテュニアが中立となった以外は、セレウコス朝やアカイア同盟など大部分がローマ側に味方した。ローマ側はその年の執政官の1人、プブリウス・リキニウス・クラッススが軍を率いてペルセウスと戦ったが、カッリキヌスの戦いで敗退を喫した。ペルセウスはローマに対して和平条約の締結を申し込んだが、ローマはこれを拒否した。しかし、ローマ側はマケドニアに対する攻め手を欠き、マケドニア侵攻は不首尾に終わった。

紀元前169年、ペルセウス率いるマケドニア軍はローマの執政官クィントゥス・マルキウス・ピリップス(en)が率いるローマ軍をテンペ近郊で包囲したが、完全勝利へ結びつけることは出来なかった。この時点でマケドニアは度重なるローマの干渉を退けたため、ディオン(en)などの宗教都市を含む要衝を制圧、ギリシアへの浸透に成功した。ペルセウスは、同じヘレニズム王朝であるセレウコス朝やペルガモン王国に対して、マケドニアに協力するよう要請したが失敗に終わった。但し、イリュリア王ゲンティウス(en)の支持を得ることには成功した

2009年04月04日

駒川改心流

駒川改心流 (こまがわかいしんりゅう) は、剣術表の中太刀の他、實手、小太刀、薙刀、両刀、三ツ道具、八重鎖鎌等を含む総合武術。

流祖は駒川改心(駒川太郎左衛門尉国吉)。長野業正に仕え上泉信綱より新陰流を得たとされる。第2代の桜田貞国(桜田次郎左衛門)は桜田流と称していたが、流名を駒川改心流と改めた。第3代の小島真吉が宝暦年間に富山藩に仕官し、同藩に伝えられた。

一般には剣術流派として知られるが、江戸時代、富山藩の藩校・廣徳館では剣術流派としてではなく、柔術流派のひとつとして指導されていた。

当流では、明和事件で磔刑にされた藤井右門が駒川改心流の小太刀術を修めていたため駒川改心流が各藩から疎まれ、流派名を新陰流としたこともあったと口伝されている。

現在も幾人か継承者がおり、埼玉県では黒田鉄山が指導している。
型 [編集]

表中太刀 [編集]
一本目 涎賺
二本目 切上
三本目 目附
四本目 足切
五本目 附込
六本目 龍段返

表実手 [編集]
一本目 胘落
二本目 胘留
三本目 胘柄
四本目 胘車
五本目 真向
六本目 切落
七本目 一天
八本目 附行
九本目 八天
十本目 滝流
十一本目 燕返
十二本目 留合

小太刀 [編集]
一本目 手賺
二本目 横合
三本目 捕手
四本目 砂巻
五本目 龍頭
六本目 引抜
七本目 一文字
八本目 追行
九本目 横真向
十本目 腹力
十一本目 霞刀
十二本目 太刀霞

表薙刀 [編集]
一本目 陰之薙
二本目 陽之薙
三本目 内挽
四本目 外挽
五本目 飛違
六本目 勝色

両刀居合詰 [編集]
一本目 柄返
二本目 柄払
三本目 三方
四本目 胸当
五本目 柄摧
六本目 太刀色
七本目 浪返
八本目 柄当
九本目 忍打
十本目 行合
十一本目 切合
十二本目 大落

奥三ッ太刀 [編集]
一本目 飛変
二本目 柄車
三本目 目附返
四本目 切先返
五本目 切返
六本目 柄返
七本目 陽剣
八本目 陰剣
九本目 神当

プレシン スタン ガッツ ジャー ひのえま トーイ プールバ ジメチル ウイット ブチュ ディス ハピパラ ていてつ コチニー ハトムギ トライク 紅葉雪 スカラ はちのへ ストラ 熱帯雨林 ストーン テンス もみじが NETリブ 恋待月 サーチ 桜坂 チシェリー トートナビ フェノール ツルコ のへじ トレラ ルーセン つるみ デジカルビ ディパー オーナラ すぎごけ デルフ マニフェ デリン ようとう スエヒ レソト スイング リベート ハッピー ミリグラム


2009年03月20日

泰山と道教

封禅は皇帝のものであるが、庶民の間でも泰山にまつわる信仰の歴史は古い。春秋戦国に書かれた『莊子』の内篇の第一逍遙遊には既に大きいものの例えとして、「太山」という名前が記されている。荘子では人間の小ささを表すために、絶大な大きさを持つ架空の鵬という名の鳥を例に対比させている。これは泰山がとてつもなく大きいものの代表という概念が、春秋時代にはもう形成されていたことを示している。 山と道教と言った関係からも、道教と泰山はもともと相性が良かったと言いえよう。東晋の『搜神記』には、早くも泰山が神性を帯びて冥界の神として登場する。以後、泰山府君を中心とした泰山信仰は『太平廣記』や『夷堅志』などの異聞に多く見られる。泰山では宋代に入ると、山頂の碧霞元君廟の周辺から碧霞元君像が発見されたことを契機に、泰山での信仰形態が変化する。泰山府君の娘で女性に関すること全般に御利益があるとされる碧霞元君へ参拝することが女性の間で人気となり、明代に入ると主神である泰山府君の人気を越えるものになった。その後、碧霞元君を祀った碧霞元君廟が中国各地で作られた。(蛇足だが、本廟以外、泰安市内にも碧霞元君を主神として祀る廟は4つも存在する。そのどれもが戦災を経て現存、もしくは復元されていることも特筆すべきことである。これは一貫した碧霞元君人気を表すものに他ならない。また、エドゥアール・シャヴァンヌは当時の北京にあった碧霞元君廟を調査し《泰山》に記載している。泰山は碧霞元君を主神として今でも多くの参拝者を抱えており、1987年に複合遺産として世界遺産に登録されている。

泰山と仏教について [編集]
泰山や周辺には仏寺も見られる。決して多くはないが、霊巌寺、普照寺、竹林寺と由緒が正しいものが多い。中でも霊巌寺は、創建が前秦ともいわれ、宋代には天下の四絶(中国を代表する4つの寺院)の一つに数えられている。日本からも曹洞宗の僧侶が多く留学にここを訪れた。霊巌寺には及ばないが、普照寺も宋代に高麗人の満空禅師が建立したものとして名高い。

歴史的には、泰山と仏教との関係は、五胡十六国時代に竺僧朗が隠遁したことに始まる。『水経注』『魏書釈老志』『冥祥記』『高僧伝』などの同時代史料によれば、仏図澄門下の僧朗は、前秦の皇始元年(351年)に泰山の琨瑞谷(金輿谷)に隠棲し、それによってこの谷は朗公谷と呼ばれるようになったとされる。前秦の苻堅、後秦の姚興、後燕の慕容垂、南燕の慕容徳らの五胡の覇主らの尊崇を受け、北魏の道武帝も僧朗に対して師礼をとったという。
アールグ モントリ 健やか バリン 九重 スクレイピ ゲゼルシ マスター スキップ プール パッセ ジュエリー 螢火 スマイリー スイカズラ うごう ジャズマ クロッカス ほうてき あまつき ナチュラル シリコン シフト トート フコイ クリアム いたやなぎ テタニー シリンジ ゼロベ チェック ワット ハリス ザッテル レート ブッダガ プラザ ちょう ハーモ せみね チャット オカルテ タンパー ヒューストン ナルシ ドリアン トップ ストーリ イズド ジェンヌ

北魏代、その朗公谷に建てられた朗公寺は、帝室の保護を継続して受け、それが東魏・北斉にまで継承された。また、その周辺に建てられたのが、霊巌寺や神宝寺などの諸寺である。霊巌寺の開基については、仏図澄が清水を湧き出させた地であるとか、竺僧朗ゆかりの地に建てられたという伝承が見られる。

泰山と儒教について [編集]
孔子が泰山を訪れていたことから、泰山には孔子にまつわる名所や孔子廟が作られている。宋代には孫復を初めとする泰山学派と呼ばれる儒学者達が西南の麓、五賢祠に移り住み大いに栄えたという。

2009年03月05日

グレムリンは伝承上の生物

機械に悪戯をする妖精とされ、ノームやゴブリンの遠い親戚にあたる。かつては、人間に発明の手がかりを与えたり、職人達の手引きをしていたが、人間が彼らに敬意や感謝をせずにないがしろにしたため、しだいに人間を嫌って悪さをするようになった。どの家庭にもグレムリンが一人は住み着いているという。

20世紀初頭にイギリスの空軍パイロットの間でその存在が噂されたのが始まりと言われている。機械やコンピュータが原因不明で異常な動作をする事をグレムリン効果といったりする。 またインドの北西戦線に駐留していた英国空軍の兵士たちの想像力の産物とも言われる。名の由来は仕官食堂にあった本「グリムの妖精物語」、唯一飲めたビール「フレムリン」の合作とされる。志願部隊のジョフリー・レナード・チェーシャー大佐はその名をヨークシャー空港の航空機トラブルのさいに挙げている。またその名は『薄い青色の線』チャールズクレイブズ著(1941年)で描かれ、「パンチ」、「スペクテイター」、「ニューヨークタイムス」紙(1942?1943年)でも記事として取り入れられた。

グレムリンの正体、起源には諸説ある。そのひとつは、元々高い山の頂に暮らしていたグレムリンが、人類が高空飛行をするようになり、その飛行機械に興味を持ち、乗り移ったとされる。計器に指を突っ込んで指示を狂わせる、ガソリンを勝手に飲んでしまうといった悪戯をなす(米映画『トワイライト・ゾーン』にこの話が元となっている一編がある)。

さまざまな描写で描かれ、身長50センチ、体重8キロ、毛のまばらなジャックウサギに似て渋ずらを浮かべている。または赤い上着、緑のズボン、頭から角を生やし皮の飛行ジャケットとブーツを着ているという説もある。また水かきのある足にひれのついた種類もあるという。上空3000メートルで活動する種類はスパンデュ?ルと呼ばれる。

いずれにせよ羽を持たぬグレムリンは空を飛ぶためには飛行機に乗らねばならない。技術的に優れた力量を誇り目標の座標を狂わせる、滑走路を上下させる、燃料を使い尽くさせる、機体に穴を開ける、ケーブルを齧る等、などの悪戯をする。一般にそれほど悪意のある妖精に見えずパイロットが無事に基地に集結できるように集団で手助けすることでも知られる。

グレムリンに関する諸説・噂
またグレムリンはその成り立ちの段階から日本および黄色人種を起源とする説、20世紀初頭から出てきた新しい妖精である点、などから戦前の欧米から見た黄渦論(テクノロジーをもって発展するイエロー人種に対する脅威論)の象徴とする説も根強くある。映画グレムリン(1984’)に登場する妖精グレムリンは当時(1960’?1980’いっぱいの)経済躍進目ざましい日本、および日本人の象徴であり(テクノロジーの怪物、工業の怪物とも揶揄される日本人の)、本作を反日映画でもあるとする噂が存在した。なお、こうした説や噂が存在したのは日本においてのみであった。

今日なお北米では航空機部品の納入時に、飴玉をひとつ同梱する習慣があるが、これは「どうかこの飴で満足して、大事な部品に悪戯をしないで欲しい」というグレムリンへのお供えであると考えられる。
ぺぱーみ メンメン ソング バンブ チミン シーザー キックサニ カエデ キンロバイ ナンバー マリンバ ディー ハードコア トース ジョーク タンブラ ナイアガ ラック セリン ブラック セルラ オルガ マスト ピタヤ ビンテー センシ ワサビ えんおう キセル ニューマ ふきのとう ブルーマ シェイ プランター 暮し百科 ザック エンド マート ニューロン ダーシズン 雪しぐれ ガボン ぴってろ ミケー デソ プデ レーナー レット ピーコック トレーサ

この話は、映画グレムリン I、IIでも紹介されている。グレムリンの人形などのグッズも販売されている。

2009年02月13日

さよらなエトランジュ

おわかれじゃないから、あいさつは「さよらな」
カニュ デルタ アルベド プロシ ドハウツー ドワイン ドッグカ プレート セレフ ちくせい ファック ろっか クロス ティア パズル データ バビロン ジョドパー ニヒリ ドライ スパーク イカット パプア セコイア 道のかなた あみん ロポリス ラバード トニク ヘリオト ドリーム ナビタフ フリクシ 星屑 イメチ 栗マロン テネシー マクラ トランサー ドルーズ ロボット ルーティン 美しい コロラド デイジー すうせい スパコン キンカン ぴーたん れんが

治療の施しようのないほどの大怪我を負った為、医学の発達するまでのコールドスリープに入っていた主人公。

200年後に目覚めた彼とそれを取り囲むヒロインたちの心の交流を描いたハートフルアドベンチャー。

剣咲透(けんさき とおる)
主人公。
コールドスリープから目覚めたものの、身元に関するものが全く無く本人も名前すら覚えていないため、名前は生体工学研究所員の投票で決められた。苗字は柊子の、名前は晴香の案が採用されている。
短気な性格で、言葉使いは良くない。遥か未来に目覚めた自分の居場所に苦悩する。
如月晴香(きさらぎ はるか)声:籐野らん
主人公の解凍を担当した、如月柊子博士の娘。
無邪気で天然ボケで世話焼き。しかも「おはようさんだよ、透っ!」と言葉遣いにもクセがありそうなキャラ。
見た目は小学生だが、一応主人公と同い年くらいらしい。歩行・走行・跳躍などの運動を補助する「ホバーブレード」を履いている。
学校では陸上部に所属し、走高跳を種目としている。背が小さいながらも地方大会で数々の成績を残している。
また、母親の柊子を「トーコちゃん」と呼ぶ。
片緒ケイ(かたお けい)声:新名はるか
晴香や透の通う学校の教師。
親しみやすい性格と端正な容姿で、男子学生にも女子学生にも人気がある。
楠瀬杏(くすのせ きょう)声:まきいづみ
言葉が少なく、他人と話すのが苦手。帽子を触られるのを極端に嫌う。
不良に絡まれている所を透に助けられて以後、透に懐くようになる。
彼女の”他人に絶対に逆らわない”性格は特殊な事情があるようだ。
永沢薫とは家ぐるみの付き合い。
神坂奈緒(こうさか なお)声:青山ゆかり
大きなリボンがトレードマークで、容姿端麗・成績優秀でミス鳳学園候補。
普段は余所行きの性格だが、あることをきっかけに透の前では本性を出すことになる。
永沢薫(ながさわ かおる)声:椎名昌弥
中性的な容姿で、オカマ風の言葉を喋る男性。
よく利く嗅覚を持ち、調香師を目指している。香りの嗅ぎ分けで性格までもわかるらしい。
学校では透の良き友達となる。
如月柊子(きさらぎ とうこ)声:佐伯典
コールドスリープで眠っていた主人公の解凍を行った生体工学研究所の所長で、如月晴香の母親。
研究所にこもりきりでしかも所内で酒を嗜んでいることもあるが、娘の晴香に対し母親らしい一面を見せることもある。
能天気で頼りなさそうだが、若くして博士号を取得するなど研究員としては優秀である。
氷垣竜一(ひがき りゅういち)声:今田鉄男
生体工学研究所の副所長。如月柊子所長の助手にあたる。
透を警戒するあまり、殴られてしまうがその後和解。
少女
時折、幻のように透の前に姿を現す少女。
ヨシアキ
学校の不良1。ピンク色の髪を立たせ、左耳にピアス、口に煙草のようなものを咥えている。
ノブ
学校の不良2。金髪で首輪を巻いている。
アキラ
学校の不良3。紫色の髪で、そばかすがある。
ケンジ
学校の不良4。長髪の頭にバンダナを巻き、額に赤い刺青のようなものをしている。永沢薫の弟のようだが…。

世界観
主人公の発言から、主人公がコールドスリープに入る前は比較的現在に近い時代と推測される。 物語の舞台である200年後の時代では、主人公の駆るバイク・晴香のホバーブレード・多機能な端末など、進歩したと見られる技術が登場する。

2009年01月27日

MiG-25 (航空機)

MiG-25(ミグ25;ロシア語:МиГ-25ミーグ・ドヴァーッツァチ・ピャーチ)はソ連のミグ設計局が国土防空軍向けに開発したマッハ3級の航空機。迎撃戦闘機型と偵察機型、敵防空網制圧型および練習機型があった。北大西洋条約機構(NATO)は、MiG-25シリーズに対し「大蝙蝠」を意味する「フォックスバット」(Foxbat)のNATOコードネームを付与した。初飛行は1964年。

1950年代、アメリカ合衆国ではB-58、XB-70、SR-71などの超音速機が開発された。ソ連のミグ設計局は、こうした侵入機に対する迎撃戦闘機の開発の必要に迫られていた。
きたみびお 浮草ぐらし ウェッジ ビーピー ツベル タイマー ビヤマハギ フロマ シケイン フリーラジ マスタ わかくさ ハイネッ パラ プロテス ロンネット ソリテー マンス スライド バヌア マート びばい フレアスカ ドトイ ラッシュ ライム ワインバ ナポリタン インゴット リッピン ウェル バター ドグマ とうりゅう スロット モラリ トレジャ フラッシ ヒマワ チャロ ムック テスト パネラー ダース サイト ジャッジ エタイ マッピング 露の契 フェージュ

MiG-25RBミグではそれまで、I-3U、I-7U、I-75、そしてYe-150といった超音速迎撃戦闘機の開発実績があり、その十分な研究成果を持っていた。また、これらの試験機では「ウラガーン」迎撃システムが試験され、超音速での迎撃システム構築の基礎データを集積していた。一連の試作機はYe-150とYe-152で完成の域に達し、両機は持続時間は限定的ながら、高度22 - 23 kmの空域において最大3000 km/hでの飛行を実現した。また、B-58、XB-70、SR-71という恐るべき標的に対し有効な攻撃を加えるため、長距離の捜索レーダーと長射程空対空ミサイルの開発も急がれた。

その結果完成されたのが、1961年に姿を現したYe-155[1](Е-155イェー・ピヂスャート・ピャーチ)であった。これはYe-150/152の純粋な発展型であったが、所期の能力を達成するため、その機体構成は大きく変更されていた。まず、機体の構成素材が変更され、高速飛行に際しての高熱に対する耐久性が高められた。エンジンは大型のターボジェットエンジンR-15-300が2 基搭載され、垂直尾翼は外開きの2枚装備とされた。この垂直尾翼2枚装備はMiG-25が世界初である。大型の捜索レーダーを搭載するため、空気取入口は機首から機体両脇に移動され、長大な機首には大型のレドームが装備された。ここには、地上から上空の目標まで誘導される自動迎撃装置が搭載された。

Ye-155には迎撃戦闘機型のYe-155P(Е-155П)の他、高速偵察機型のYe-155R(Е-155Р)と巡航ミサイル母機型のYe-155N(Е-155Н)が開発された。但し、Ye-155Nの実用化は見送られた。

MiG-25の搭載するR-40ミサイルYe-155Pは「航空機ミサイルによる空中目標迎撃システムS-155」の主要構成要素となることが見込まれた。そのため、機体にはシステムに連動する大型の機上捜索レーダー「スメールチA」、誘導ミサイルのK-40(のちR-40として制式化)、地上目標航法装置の「ヴォーズドゥフ1」の機上航法指令送信装置「ラズーリ」が搭載された。

試験は1960年代を通じて行われた。1962年から1963年にかけて4 機のYe-155が製作された。その内2 機は迎撃戦闘機型のYe-155P1とYe-155P2で、残る2 機は偵察機型のYe-155R1とYe-155R2であった。最初に組み立てられ飛行したのはYe-155R1で、1964年3月6日に初飛行に成功した。Ye-155P1はこれに遅れること約半年、1964年9月9日に初飛行した。その後も数機の試作機が製作された。

1967年からは、Ye-155Pの最初の量産型機が製作された。1967年にはYe-155P7/8/9の3 機が、翌1968年にはYe-155P10/11の2 機が製作された。これらは、S-155システムの国家試験に使用された。ソ連航空産業省の指令により、Ye-155Pは1968年にMiG-25P(МиГ-25П)、製品84(изд.84)として制式化された。部隊配備は1970年より開始された。

一方、偵察機型に関しては1968年に4 機目の試作機となるYe-155R4が製作され、これが最初の量産型機となった。Ye-155R2/3/4の3 機が国家試験に供され、試験は1969年10月に終了した。量産は1968年から開始されており、航空産業省の指令によりMiG-25R(МиГ-25Р)として制式化された。

MiG-25の生産は、ゴーリキー(現ニージュニー・ノーヴゴロト)の第21航空機工場で実施された。MiG-25Pは、それまでの迎撃戦闘機Su-9、Su-11を代替してソ連防空軍の主力機となっていった。一方、MiG-25Rとその派生型偵察機などはソ連空軍での前線任務に入った。また、最高高度到達記録の36.7 kmなど、高度到達時間トライアルでは米国のSR-71やF-15ストリークイーグル、F-4ファントムのトライアル仕様機と熾烈な争いとなりこれらの機種と共に多くの記録を保持している。[2]

アメリカの不安

リビア空軍のMiG-25PD輸出型。機体はMiG-25Pのままだが、ソ連国内向けのMiG-25PD同様の赤外線追跡装置などが追加されている。MiG-25は最高速度が非常に速く、3000 km/h(約マッハ2.83相当)での飛行を目標に設計されており、実用化された戦闘機としては最速である。イスラエルのレーダーにマッハ3.2、中東方面ではマッハ3.4の飛行速度が記録されている。[3]超音速航空機の最高速度は、エンジンの出力限界ではなく機体の構造や、空気摩擦の耐熱限界をもとに算出される場合があり、MiG-25も、構造材のニッケル鋼で耐熱上の安全を確保できるのはマッハ2.83までだったとされる。

MiG-25のその最高速度やノズル、空気取入口のサイズからアメリカはターボファンエンジンを搭載した航続距離の長い非常に高性能な機体であると予測した。そのころ、アメリカが使用していた戦闘機は機動性が悪いものが多くMiG-25に対抗できるものはないとして危機感を覚え、機動性に優れたF-15を開発することとなった。

R-40ミサイルを搭載したMiG-25PしかしMiG-25の実際の性能は1976年のベレンコ中尉亡命事件によって明らかになる。1976年9月6日、ヴィークトル・イヴァーノヴィチ・ベレンコ(Виктор Иванович Беленко)中尉が搭乗するMiG-25が演習中に突如急降下し日本に向かって飛行を開始した。これを日本のレーダーが捉え、領空侵犯の恐れがあるとして急遽千歳基地のF-4EJがスクランブル発進を行った。日本に向かってくるMiG-25を探すが、レーダーサイトのレーダーはMiG-25が低空飛行に移ると探知することはできず、またF-4EJのレーダーは上空から低空目標を探す能力(ルックダウン能力)が低く、MiG-25を発見できなかった。結局そのままMiG-25は函館空港に強行着陸した。このことによって日本のレーダー網の脆弱性が判明、日本は空中から低空目標を探せる早期警戒機のE-2Cを導入することとなる。

このMiG-25を分解調査したところ

チタニウムを大量に使用していると見られていたが、実際にはニッケル鋼が多く使われていた。これでは機体表面を300℃に過熱させるマッハ3での飛行に耐えられず、MiG-25が安全に飛行できる最高速度はマッハ2.83程度だった。
迎撃に特化した戦闘機であり、機動性などはそれほど高くない。もともとソ連の防空システムにおける航空機の役割は、地上管制による誘導を受けて長射程ミサイルを目標付近まで輸送し発射するというものであったため、機動性に関しては重視されていなかった。このため、本来の設計思想と異なる戦術・制空戦闘目的で運用された中東諸国のMiG-25は、芳しい戦果を挙げていない。
巨大なエアインテークとノズルは当初予想されていたターボファンエンジンやターボラムジェットでは無く、高速飛行時のラム圧縮効果をあらかじめ見込んで圧縮比を低く設定したターボジェットエンジンの採用によるものだった。
電子機器はハイテクを駆使していると見られていたが、実際にはオーソドックスな真空管が多く使われており、先進性より信頼性を重視したものとなっていた。方式は旧式であったが、レーダーの出力は600kwと極めて大きいものとなり、相手方の妨害電波に打ち勝って有効であったと伝えられている。[4]他にも、半導体回路を使用すると核爆発の際に発生する電磁パルスで回路が焼損するおそれがあるため使用しなかったとの説もある。
機体設計においては、MiG-25は特にその機体構成要素において、革新性よりは信頼性に重点をおいた堅実な設計に基づいた機体であった。
以上の事から、MiG-25は西側の懸念したような格闘戦用の制空戦闘機ではなく、ソ連の防空システムに完全に組み込まれる、領空防衛を主目的とする典型的な迎撃戦闘機であると考えられた。これにより、西側への侵攻が行われた際にMiG-25が前線に現れ脅威となるような状況は想定されなくなり、調査班は西側諸国の不安が「過大評価」であったとの結論を下した。

ただし、このMiG-25の「過大評価」はアメリカ空軍が予算、特にF-15開発の予算を獲得せんがために、ソ連の脅威を宣伝した結果ともいわれる。高速に特化した機体の運動性がさほど高くは無いであろう事は、アメリカもマッハ3級の戦闘機・爆撃機を試作していた経験から、予測していたともされる。

なお、MiG-25の設計年次は、F-15などより実質的に1世代前となっている。真空管の使用は時代遅れだという指摘にしても、MiG-25のプロトタイプが制作された1960年代には、レーダー回路に使えるような大出力のトランジスタやICなどは、そもそもアメリカでもまだ実用にならなかった時代である。

ベレンコ中尉は取り調べの後、希望通りアメリカへ亡命。MiG-25の機体はソ連に返還されている。ソ連ではこの事件によって自国の防空システムが西側に露見してしまったのではないかと懸念し、以降MiG-25の搭載機材の一新を図ることとなった。特に、搭載レーダーとその関連システムはまったく別系統のものに変更された。機材更新以降のMiG-25はMiG-25PDと呼ばれたが、搭載機材の急な変更は一挙に行えるものではなく、数年を掛けて複数のタイプのMiG-25PDが製造されることとなった。

主な派生型
ベレンコ中尉のもたらした機体は迎撃戦闘機型のMiG-25Pであったが、亡命事件を受けてソ連ではこの機体のシステム変更の必要に迫られた。ソ連にとっては、MiG-25Pが捕獲されたことによって自国の防空システム全体が露見してしまう可能性が最大の関心事であった。このため、防空システム全体の見直しが必要となった。搭載機材を変更して1978年に完成されたのがMiG-25PD(МиГ-25ПД)であった。MiG-25PDでは、それまでの「スメールチ」にかえ、MiG-23MLの搭載レーダーを改良した「サプフィール25」レーダーを搭載した。また、その他の電子装備も変更し、機首下面にはこれもMiG-23MLから流用した赤外線追跡装置を装備した。以降はこの機体が配備されていった(MiG-25PDにも数シリーズあり、初期のものは外見上MiG-25Pに似ている)。既に配備されていたMiG-25PもPD規格のMiG-25PDSに改修された。また、MiG-25Pを代替する迎撃戦闘機として本来は前線戦闘機であったMiG-23も防空システムに組み込まれることとなり、MiG-25PD同様の機材を搭載した迎撃戦闘機型MiG-23Pが製造された。結果、長射程ミサイルを使用できるMiG-25PDと中射程ミサイルを使用するMiG-23Pが、並行して防空軍へ配備されることとなった。

MiG-25RBS最初の偵察機型MiG-25Rは本格的な運用には至らず、1970年には戦術偵察爆撃機型のMiG-25RB(МиГ-25ЛБ)が初飛行した。この機体からは、戦術偵察爆撃機(写真偵察機)型のMiG-25RBV(МиГ-25РБВ)やMiG-25RBK(МиГ-25РБК)、MiG-25RBS(МиГ-25РБС)、MiG-25RBF(МиГ-25РБФ)、MiG-25RBSh(МиГ-25РБШ)、戦術電波偵察機型のMiG-25RBT(МиГ-25РБТ)などが開発された。

MiG-25RBから開発された敵防空網制圧機型は、MiG-25BM(МиГ-25БМ)と呼ばれた。MiG-25BMは対レーダー電波システム「ヤグアール」を搭載し、これにより対レーダーミサイルのKh-58Uを運用できた。Kh-58Uは、最大で4 発を搭載できた。

この他、複座練習機型として練習訓練戦闘機型のMiG-25PUと練習訓練偵察機型のMiG-25RUが開発された。

ロシア空軍のMiG-25PUMiG-25の運用上最大の欠点は時速3,000kmの飛行に耐えるよう設計された機体のデリケートさと機体やエンジンの整備の煩雑さ、許容しがたい燃料消費量の多さなどであり、MiG-25はこうした運用効率の悪さから冷戦終結後は冷遇された。

ロシアでは他に代替機のない各種偵察機型とMiG-25BM、及び各種試験にも用いられる複座型が運用されているが、それ以外は退役していると思われる。ウクライナやベラルーシでも全機が独立後数年以内に退役したとされる。また、ブルガリア空軍の機体はロシア空軍のMiG-23MLDとの引き換えで返還された。以前は実戦で活発な活動を見せていた中東地域の機体も、現在では稼動状態にあるのか疑わしい。

アルジェリアは近年まで運用していたが、2005年の時点では不明。いずれにせよ、今後恐らくはMiG-29SMTかSu-30MKに代替される予定である。リビアでも、2007年現在で稼動状態にはないと見られている。長年偵察機型(MiG-25RB)を運用してきたインドでも、2006年5月をもって退役した。

イラク国内で砂の中に埋められていたMiG-25RB偵察機また、湾岸戦争ではイラク空軍のMiG-25がアメリカ海軍のF/A-18を1機撃墜しており、2006年現在、ここ30年間(ベトナム戦争後)で唯一アメリカ軍機を実戦で撃墜した機体である。また、これは湾岸戦争における空対空戦闘に於いて、イラク側が唯一挙げた戦果でもある。

2003年3月には、イラクでRQ-1 プレデターと交戦し、これを撃墜している。これは武装した無人機と有人機の初の戦闘である。

一方、MiG-25を改良した長距離迎撃機MiG-31も開発され、こちらはロシアでは迎撃戦闘機の主力のひとつとして運用されており、その数は運用されている迎撃戦闘機の約半数であるといわれる。なお、残り半数はSu-27。また、MiG-31はカザフスタンでも使用中である。しかしながら、各種開発されたMiG-31の派生型は、飛躍的な能力向上を見せたMiG-31Mをはじめいずれも量産には結びついていない。

別名の由来
冷戦終結後、各基地に貯蔵してあった航空機エンジン等の冷却用のアルコールを関係者らがみな飲んでしまったという話があるが、中でもMiG-25用のアルコールは極めて純度が高く、とりわけ美味だったとされている。特にMiG-25はおよそ300lものアルコールを冷却用に搭載したため、ロシアでは『アルコール運搬機』を意味する『スピルトヴォース[要出典](Спирт-Воз)』という愛称が用いられた
翼面積:61.40 m?
翼面荷重量:598 kg/m?
空虚重量:20,000 kg
通常重量:36,720 kg
最大離陸重量:41,000 kg
発動機:ソユーズ・ツマンスキー R-15BD-300×2基
推力:10,210 kg
推力重量比:0.41
速度
速度制限:マッハ2.83 (3,090 km/h)
最大速度:マッハ3.2 (3,490 km/h)
航続距離:1,730 km
上昇率:50 m/秒
実用上昇限度:20,700 m
最大到達高度記録:37,600 m